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定性・定位から学ぶ中医症例集

序章 気血水火弁証と定性・定位

シンプルでわかりやすい弁証方法

 中医学の診療においては「弁証論治」の方法論が重視されている。なかでも病態の識別を行う「弁証」の作業が中医的診断のポイントである。患者の病態の総合的な特徴を把握するためには,ある時期,ある段階における「証」を構成する病因・病性・病位・病機などを弁別することが必要となる。
 従来から使われてきた病因弁証・八綱弁証・気血津液弁証・臓腑弁証・経絡弁証,さらに『傷寒論』体系の六経弁証,温病学体系の衛気営血弁証・三焦弁証などは,病因・病性・病位・病機などのどこに力を入れるかがそれぞれに異なり,1つの方法だけで弁証の全プロセスを完成させるのは困難である。そのため,煩雑さに悩まされながらも,いくつかの弁証を併用する方法をとってきたのである。
 しかし,中医学の初心者が,それぞれの弁証方法を熟知したうえで自在に応用できるようになるのには並大抵ではない努力と時間が必要である。弁証の煩雑さにとまどい,途中で挫折してしまう人も多いだろう。
 「あらゆる弁証の方法を1つにまとめることはできないか?」
 これは,中医学の研究や教育,臨床に携わる多くの人々がずっと関心をもってきたテーマである。私自身も,多くの患者さんや医師,学生たちと接しながら,このテーマについて真剣に取り組んで来た。その結果,「気血水火弁証」という新しい弁証体系を編み出したのである。
 この気血水火弁証は,「定性」「定位」を判断することによって病性・病位を明確にすると同時に,病因・病機も合わせて分析することができる。つまり,従来の弁証のプロセスと違って,他のさまざまな弁証方法を使わずに気血水火を主とした弁証システムだけで多くの外感病や内傷病の証を決定できるものである。あまり時間をかけずに身につけられるのがこの気血水火弁証の大きな特徴で,簡便で実用的な弁証システムといえる。


火の概念と気血水火弁証

 気血水火弁証では,まず気・血・水(津液)・火のそれぞれの特性を明白にさせなければならない。
 気・血・水が生体の生命活動の基本的物質だということはよく知られているが,火も生命活動に欠かせない生理的物質であるということは,意外に知られていない。古くは『黄帝内経』に「少火生気」という論述がみられるように,火は太陽のように命のエネルギーとしての役割を果たしている。また,陰陽理論によれば,火と気は陽に属し,血と水は陰に属するとされている。火と気(陽気)は,人体の各器官や組織の機能を温煦・推動・激発する働きをもつ。火と気は,生理的に相互化生・相互促進の関係にある。火は気に化生し,気は火を養う。気の中に火があるからこそ温煦・推動・激発の働きが生まれるのである。
 また,中医臓腑理論に命門説がある。命門説では「命門の水」と「命門の火」が生命力である元陰・元陽(先天的陰精と先天的陽気)に化生する重要性が強調されている。
 気は温の性質,火は熱の性質とはっきりと区別され,陽気がとくに強いところは火に属し,陽気が概して弱いところは気に属するとされている。つまり気の概念をそのまま火の概念に重ねることはできない。
 病理学的には,火と気にも大きな隔たりがあり,陽虚証と気虚証に分けられている。
 火の病理的変化は複雑であり,虚火・実火・陰火・鬱火・肝火・心火などがあげられるが,それは生理的な火とは区別すべきである。火の病理的な状態を弁別するのは,これから論じる気血水火弁証の一部の内容となっている。

気血水火弁証と定性・定位

 気血水火弁証は,まず病機(疾病の発生・発展と変化に関わる病因病理)分析を通じて,証(病態の特質)の構成因子である病性(主に寒熱と虚実)・病位(主に表裏・臓腑・経絡)を弁別するものである。
 すべての疾患の発生・発展・変化の過程においては,正気と邪気との争い,体内の気・血・水(津液)・火の質量と機能の失調がもっとも基本的な病機といわれている。正気とは,われわれの生体を構成し,生命活動を維持するのに不可欠なものであり,生理的な物質である気・血・水(津液)・火が正気の中核をなす。一方,邪気とは,われわれの身体に病苦をもたらす諸種の有害因子(六淫・七情・食積・痰飲など)を指している。それらによって生体の陰陽失調や臓腑・経絡などの機能の失調が導かれ,寒熱や虚実などのさまざまな病態が現れるのである。この寒・熱・虚・実のどれに属するかという病態の特性を同定する作業を「定性」または「定性弁証」という。
 また,病態は必ず体のどこかに現れてくるので,その部位を同定する必要がある。表・裏・臓腑・経絡などの部位の識別の弁証プロセスを「定位」または「定位弁証」という。
 気血水火弁証では,病性・病位の弁別を中心としながら,病因・病機の分析についても同時に行うため,病因・病機・病性・病位という証を構成する要素に対する考察はすべて含まれることになる。つまり気血水火弁証を行うだけで多くの疾患の弁証ができるわけである。
 しかし,気血水火弁証の「定位」または「定位弁証」では,もともと八綱弁証(表裏・寒熱・虚実・陰陽)や臓腑・経絡弁証の内容も取り入れているため,当然それらに対する理解も要求される。たとえば,八綱弁証中の表裏の項は「定位弁証」に属し,寒熱・虚実・陰陽の弁別は「定性弁証」に属する。また,臓腑弁証は「定性+定位」の弁証方法である。気血水火弁証が主に八綱弁証と臓腑・経絡弁証を中心としているのは,弁証の簡便化をはかるためである。

「定性」「定位」から弁証へ

 気血水火弁証の臨床的応用においては,病因・病機に対する分析と同時に,(1)「定性」を行う,(2)「定位」を行う,(3)弁証を行う,という3段階の手順を踏む。
(1)「定性」を行う
 まずは病態が気の病気か,血の病気か,水の病気か,あるいは火の病気か,それらを弁別してから,虚実寒熱の弁別を行う。虚性か実性か,寒性か熱性か,これは病態に関する最も基本的な特性であり,基本となるものである。虚実寒熱の判定は,補法・瀉法・温法・清法などの治療法則の選択に直接つながるため,けっして間違ってはいけない。定性弁証は最も重要なものである。
(2)「定位」を行う
 臨床においては,患者の主訴や症状,望聞問切から得た所見をもとにそれらの関連性を弁証をするが,病位を探るには主に臓腑に着目しなければならない。臓腑は生体の中心的な存在であり,とくに五臓を中心とした臓腑によって,全身の組織器官や機能はすべて統括されている。また,気・血・水・火の生理的または病理的な変動も臓腑を中心として現れてくる。このため,気血水火弁証における「定位」の作業は,臓腑とつなげて考えなければならない。しかし,ひとりの患者が同時にいくつかの疾患や症状をもっていることも少なくない。そういう場合は,症状や所見の相互関係を明確にさせて,最も重要な病態の特質を把握し,中心となる臓腑を特定すべきである。定位の目標が定まらなければ,弁証があいまいになり,治療にも影響する。
(3)弁証を行う
 弁証は,定性・定位を主軸にすえて,病因・病機に対する分析,主症状・随伴症状の把握,それぞれの症状や所見の関連性なども考慮しながら進めていく。一例を見てみよう。
 たとえば,「病気の性質は陰虚・血・気滞。ただし,主に陰虚が強く,血は副次的であり,気滞はまだ軽い。部位は心・肝・腎と関わるが,現在は腎を主とし,肝と心はそれに準じる」というような場合の弁証結論は,「腎肝心陰虚,血気滞」となる。

外感病における気血水火弁証の応用

 さまざまな疾患は中医学的には外感病と内傷病に大別できる。内傷病が七情の過用やよくない生活習慣に起因する慢性疾患が主であるのに対して,外感病は外から邪気が生体を犯すために起こるもので,経過が短く,発熱が多くみられる。急性・感染性疾患を主とするため,外感熱病ともいう。その病因は六淫(風邪・寒邪・暑邪・湿邪・燥邪・火邪)が主である。このような外感熱病の弁証に関しては,気血水火弁証をすると同時に,表裏の弁証や初期・中期・末期の3期に対する弁別も加えた「三期表裏の気血水火弁証」の体系を用いる。